株式会社キムラ

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キムラの歴史のはじまり

キムラの「木」と古代出雲との「縁」

人と川の流れ、世のうつり変わり

ふるさとの山

キムラと古代出雲の縁

それまで考古学者が考えていた、弥生時代像を大きく変える歴史的大事件発生

1984(昭和59)年7月18日、広域農道(現・出雲ロマン街道)の工事にともなう事前遺跡調査で発掘調査をおこなったところ、谷あいから358本の銅剣(どうけん)、翌年には銅鐸(どうたく)6個と銅矛(どうほこ)16本が出土しました。その当時の、全国の銅剣出土総数を上回るこの発見は、弥生時代の青銅器文化の考察の見直しを迫る、世紀の大発見となり、考古学者や全国の考古学ファン胸を躍らせることとなりました。現在では、国指定史跡「荒神谷遺跡」で遺跡は保存され、出土品は後に国宝に指定され、出雲市大社町の「島根県立古代出雲歴史博物館」に収蔵され、いつでも見ることができます。

荒神谷遺跡

銅剣 昭和59年に358ぽんの銅剣出土

銅矛・銅鐸 翌年には16本の銅矛、6個の銅鐸が出土

荒神谷遺跡公園に復元された古代人の住居

毎日、全国より古代歴史ファンの見学があとを絶たない。
「木村」と「木」と古代の遺産まで「縁」があろうとは思わなかった。

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